引用:
Originally posted by zandar
名無しさんは<呂蒙>でした。
周瑜と魯粛亡きあと、呉の支柱となった人物。
若い頃は武芸一筋だったが孫権に
「将軍は学問を収め、世事や兵法に通じていなければならない」と論され猛勉強する。
荊州で関羽を捕らえ殺すと、祝宴の席で関羽の亡霊にとりつかれ壮絶な死をとげた。
ひげがこゆい!?(爆)
変な霊にとりつかれてませんか? ヒゲのなが∼い人とか・・・うふ
有人可以翻譯一下嗎
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翻譯沒本事,不過上面說的跟下面這個差不多...
呂蒙字子明
吳將,為孫策及孫權兩代效力.是繼周瑜、魯肅之後,東吳第三代都督.
呂蒙原本只是一武夫,後來經孫權和魯肅的激勵,發奮讀書.三日後魯肅來探望他,與他談話的時候,覺得呂蒙已經變得有學問,讚他說已經不是以前的呂蒙了.所以,有[吳下阿蒙]的成語.
他升任都督後,所有軍事上的問題,孫權都向他請教.曹操派滿寵為使,要求一同進攻荊州.呂蒙便覺得這是收回荊州的大好時機,所以便請求出兵.後來,他與陸遜合謀收復了荊州,殺了守將關羽,使其威名遠播.後於一場酒宴中暴斃死亡.